サッカーの試合解説・批評の新しい地図化について 

サッカー観戦というか解説というか批評は、だいたいが応援しているチームの目線になるものだ。

チェルシーファンがチェルシー戦を見れば、チェルシーが攻撃している時は「攻撃する側の目線」、守備している時は「守備側の目線」になる。日本代表でも同様。

だがしかし、当然、逆の目線というものも存在する。

日本代表対ベルギー代表戦なら、当然、ベルギー代表側から見る「評価」というものも存在するわけだ。

もしも、そういう「目線」で語る実況解説というか試合分析が日本代表戦で存在したとしたら、果たして、それは日本人の視聴者や読者から支持されるのであろうか?

まぁ、そもそも日本におけるサッカーの実況解説って試合の内容を追って語ることよりも、その周辺情報というか試合以外のことを語ることのが多いい気がするので、攻撃目線も守備目線もないのかもしれないですが。


要は、言いたいことはですね。らいかーるとさんがナンバーで記事書くようなご時世というか、元SMAPがアメバテレビで脱アイドル的なな素顔っぽいというか素人的な視点からプロの業を見せて楽しむようなご時世なんですから、なんというか、もっと試合内容に沿った実況解説があってもいいんじゃないかってことがいいたいだけです。

まぁ、胡散臭いサッカーWEB媒体の台頭というもの、めちゃイラつくわけですが。そういうのを声を上げて批判する人もいてもいいよね。

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Posted on 2017/11/21 Tue. 23:54 [edit]

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プレミア「ウエストブロム対チェルシー」感想文 ビエラみたいにならないかな? 

アウエーでの試合ではありますが、この時期にウエストブロムあたりのレベルのチームから勝ち点落とすことはあってはならないこと。ですので、とりあえず勝ち点3をしっかりと取れたことを評価。

その立役者は、3ゴールに絡んだアザールでしょう。日本代表との試合に出なかったことが、少しはプラスに働いたのかもしれませんが、いいパフォーマンスでしたね。

アザールの最大の武器は、前を向いてボールを持って「攻撃の起点」になれることであると思うのですが、それだけでなく、この試合のようにゴールに絡めるということなしですね。ウエストブロムの守備が淡白であったことが好調の要因であった気もしますが、モラタとのワンツーみたいに「味方の選手をうまく使っての突破」が増えると、もっとゴール数は増えると思います。

アザール以外では、ユナイテッド戦から継続して「カンテ、バカヨコ、セスクの中盤」で戦ってましたが、今のところ中盤はその構成がベストなのでしょう。バカヨコはまだまだではありますが、攻撃のアクセントになっているのは確かであると思うので、この調子でがんばってもらいたいですね。フランス代表のレジェンドであるビエラのようなスケールの大きい選手になれる可能性を秘めていると思いますので、期待でしたいです。

ちなみに上記の中盤の影響で、ウィリアン、ペドロといったウイングを両方ともベンチに座らせておくことになってしまうのはもったいない気もします。モーゼズが不在でマティッチがいなくなった今、彼ら2人よりもセスクを起用するほうがバランス的にはいい感じなのでしょうが、今後、状況によって彼らを起用することになると思いますので、その時はがんばってもらいたいです。

ウィリアンを1月に放出?

いやいや、ウィリアンやペドロは重要な戦力であると思うので、彼らどちらかを1月に放出するのは絶対に避けたほうがいいでしょう。それを考慮した選手の起用法をぜひ。



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Posted on 2017/11/19 Sun. 22:36 [edit]

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サッカー練習試合「日本代表対ブラジル代表」感想文 アンチフットボールの観点から失点シーンをみつめて 

失点シーン(3失点目ね)を見て感じたことを、つれづれなるままに書いておきます。

・気をつけるべきはカウンターだったと思うので、3失点目は日本代表の11番のボールのとられ方が非常にまずかったと思いました。ウイングがドリブルで中に切れ込むというプレイはわかるんだけど、結果として「ブラジルの守備3人;日本11番1人」という形になってしまったわけで。ぶっちゃけボールの獲られ方としては最低だったように見えました。まぁ、勝負したこと自体は評価したいけど、ファウルをもらうまたは奪われたら即ファウルで止めるくらいのプレイが必要だったのではないでしょうか。

・まぁ、すでに2点ビハインドだし、ビデオ判定の導入でファウルしにくい状況だったのかもしれないけど、「弱いチームは汚いファウルでプレイを切る」というのが鉄則な気はするんですけどね。

・で、11番がボールを奪われてブラジルのカウンターを食らうわけですが、「センターサークル付近でファウルプレイで止めるべきだった」というアイデアは、アンチフットボール大好きの私だけの発想なのでしょうか。まぁ2点ビハインド状況ではあるのだけど。

・ペナルティエリア付近のファウルは危険だとは思うのですが、自陣から遠くの位置では「イエローもらわないファウル」をもっと多用するのは必要だと思うんですけどね。国民性的にファウルはダメという思考はあるのかもしれないけど、相手にとってみるとファウルしてこないというのは非常にありがたいことだと思うわけで。そのあたりは、一度、議論の対象にしてもいいと思うんですけどね。

・その後、ペナルティエリア付近まで攻め込まれまずが、一度、日本代表の22番だったかがボールをクリアするんですよね。かろうじて。ですが、これをブラジル代表また拾われてしまう。まぁ「よく、クリアしたのに不運だった」とは思うのですが、あえて苦言を言うとすればクリアの仕方が「つなぐ」のか「アウトオブプレイ」なのか意識してできればよかった気もしました。これは2失点目にもつながる話ですが、中途半端なクリアボールというのは危険なんですよね。

・最後は、センタリングされたときのバイタルエリアのケア。まぁブラジルがうまかったのでどうしょうもなかったとは思うのですが、「最終ラインとゴールキーパーの間のスペース」はあの状況下ならゴールキーパーにもう少しがんばってもらいたかった気もします。というか最終ラインも、あの状況下ならゾーンでなく人をケアですよね。まぁ、当然、そうしていたのでしょうけど、それでもやられてしまったというところでしょうか。

【まとめ】
 アンチフットボールというのは、下手に攻撃をすることで逆に相手にカウンター攻撃をされるリスクをも考慮して「無視して攻めない」という、いわば「石橋を叩いて渡らない」戦法なわけで。要は、この日本代表の「3失点目」のようなものを避けるために計算された戦法であるということです。そのあたりについて、一度シャビとじっくり語り合うのが夢です。


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Posted on 2017/11/11 Sat. 20:31 [edit]

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プレミア「チェルシー対マンチェスターユナイテッド」感想文 オフ・ザ・ボールの動きとか 

モラタのシュートがすばらしかったのは確かですが、それをアシストしたのがバカヨコのオフ・ザ・ボールの動き。
ユナイテッドの守備陣が彼の動きに混乱した結果、モラタがフリーでいい形でシュートを打てたのがゴールに繋がったということでしょう。

今流行りのポジショニングがどうのとかいうやつなのかどうかは知りませんが、単に昔からよく言われているというか、サッカーでは常套手段の「すばらしいオフ・ザ・ボールの動き」がゴールに繋がったということだけな気もします。

・2列目からの攻撃参加&スペースメイク
・相手の最終ラインに対して数的有利な状況の創作


この2つは、古今東西サッカーの攻撃においては有効であるということですかね。

守備面ではカンテが効果的でした。彼がいるいないでは、チェルシーの守備力は雲泥の差であることが証明された試合でもありました。最終ラインもがんばってましたが、後半終了間際に甘くなったシーンがあったのに無失点で切り抜けられたのたラッキーだったかも。スピリクエタはすばらしかったですが、その他の選手は正直、そこまではよくない。

とはいえ、無失点で勝てたことは評価。


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Posted on 2017/11/07 Tue. 00:04 [edit]

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ハリルホジッチ日本代表の戦術、国民性と個人戦術 

個人的にはハリルホジッチ監督に対しては「好きではないけど、かといって嫌いではない」くらいな感じではありますが、「日本の監督に向いてない」とも別に思ってないです。(というか、あまり興味がない?)

で、そんな嗜好を抜きにしたとしても、以下のような意見は正直賛同できないし、むしろ違うと感じてしまいます。

日本人選手は自分でシュートを打とうとしない。そんな指摘(批判)をよく耳にする。外国人選手は、周りにフリーの選手がいても自分で強引に持ち込んでシュートを打ってしまうのに、日本人は逆に自分が打ったほうがよさそうな場面でも味方にパスを出してしまう。日本人選手の弱みとして語られる場面だ。だが、これは国民性とでも言うべき、気質に沿って起きている現象であり、簡単には変えられない。良くも悪くも日本社会で育ってきた選手を、ピッチ上だけは外国人のように振る舞えと言うのは無理な話だ。
引用元

いやー、この「良くも悪くも日本社会で育ってきた選手を、ピッチ上だけは外国人のように振る舞えと言うのは無理な話」という考えは、ある意味すごいかも。もちろん極論で語っているのかもしれないけど、それでも「無理な話」という表現はかなり乱暴な印象はあります。まぁ最近はナショナリズムな思想が支持されている感じもするので、その流れの一環なのかもしれないですが、一昔前は日本におけるサッカーは「外国人の模倣」を是とするスポーツであったと認識してますし、今もそこからあまり変わってないと思っていたんですが、そうでもないんですかね。

って、そんな右や左の論争を抜きにしたとしても、サッカーというスポーツの特性というかセオリーから考えてみても「シュートを打とうとしない」ことはよくないことであると思いますけどね。国民性以前の問題として、シュートは打つべき。もちろん、無謀なシュートは悪ですし、その技術差を抜きに語るのは危険ですし、どのレベルでシュートを打つ打たないかとう程度の問題はあるのでしょうが。
それにしても「シュートを打たない国民性を支持しろ」はちゃんちゃらおかしい。

たとえばサッカーには「オフサイドトラップ」という戦術がありますが、それを先の国民性的な気質の問題と絡めて語ったとしましょう。

トルシエ氏「日本人は組織的な国民性や気質があるので、オフサイドトラップをベースにした守備にすべきだ」
ジーコ氏「日本人は誠実な国民性や気質があるので、オフサイドトラップは多用すべきでない」


どちらもインチキ臭い日本人の国民性論ではありますが、このように戦術を国民性で語ることだってできるわけです。では、どちらが正しくて、どちらが間違っているのでしょうか? 答えは、両方バツですよね。そう、国民性で語るべきことではない。まぁ、今時オフサイドトラップを二極論で語ることはないとは思いますが、言いたいことは「サッカーというスポーツには普遍的な戦術」というものが存在し、ベースになるのはあくまで「そちら」であるのではということ。

要は、サッカーというスポーツにはグローバルなセオリーというものが存在し、それを覆すローカル性というのはあまりないのではということ。

もちろん皆無であるとは言いませんが、日本人だから云々なんてプレーやスタイルいうのは幻想に近いのかなって個人的には思っております。

もちろん、選手個々の特性やレベル差はあると思いますし、その集合体が「国民性」という話なのかもしれません。ですが。それを「メイン」で語るのは危険であると思いますし、あくまで「ディティール」というのが私の意見。シュートを打つことと戦術では違いがあるかもしれませんが、私的には同じ範疇です。

■ハイチ戦について

さて、続いて話変わってハイチ戦。ちゃんと見てないですが、こちらも試合後の記事を見ていて気になったところがありました。

“縦に早いサッカー”を封じられたのに対し、ピッチ上では選手たちが「今日はポゼッションするっていう選択肢をもっていた」という。だが、ハリルホジッチ監督は試合後の会見で「ポゼッション率は高かったかもしれないが、ポゼッション率が高いからといって勝利に結びつくわけではない。(重要なのは)デュエルと得点数」と断言。そのため、酒井は、「監督のなかであまりよく思わなかったところがあるのならば、僕としては少しギャップを感じてしまう」と心境を明かし、「こういう相手に対しての戦い方を、チームとして意思疎通したほうがいいんじゃないかなと感じた」と今後の課題だと強調した。
引用元

見事な”ハリルホジッチ叩き”記事からの引用ですが、ここで酒井選手の言葉として引用されている「ギャップ」と「チームとしての意思疎通」という表現は興味深いです。要約すると「監督がポゼッションを悪というけど、それはギャップを感じるな。ハイチみたいなカウンターチームとの戦いにおいてもノンポゼッションの貫き方を検討したほうがいいのかな」みたいな感じでしょうか。「ノンポゼッションの貫き方」は極論としても、この記事の論調からは「デュエルと得点数」と「ポゼッション」が2極論として語られている感じがするのが印象的です。そして、それに対して「監督の戦術が問題」ということが主旨となっているように読めます。

まぁ、結果として3失点しているし、監督が悪いのは確かだと思うし、そういう見方も間違いではないんでしょう。ただ、個人的にはすべての問題を「監督の責任」で片付けるのは違う気がしてます。先程の国民性のところで述べた「サッカーというスポーツにはグローバルなセオリー」があるという視点から、この問題についても考える余地はあると思っているんですね。

要は、すべてが「監督の戦術が問題」でなく「選手がピッチ上でサッカーのセオリー考えて対処すべき問題」だってあるでしょう?みたいな。

で、今回のハイチ戦の苦戦の原因も、どちらかというと後者になるのかなと思っているんです。

ハリルホジッチ監督の会見も参考にしてみましょう。

もしかしたら、われわれの方が技術的に優位だと思ってしまって、気が抜けてしまったのかもしれない。そして失点した。まさにニュージーランド戦と同じ現象だ。しっかり、いろいろなことを分析しないといけない。何人かの選手には、日本代表でプレーするのであれば、もっと考えないといけないと言わなければならない。まったく別なものを見せなければならない。
(中略)
23人は6月に発表するが、そこまでにはいろいろなことが起こる。今回は10人(近く)新しい選手に変えた。いろいろな選手のクオリティーを見なければならなかった。ただチャンスを与えたら、もうちょっと違ったものを見せてほしかった。そこが失望しているところだ。なぜこんなにパニックになったのか。何をすべきか分からない状況だった。23人に絞るまでまだ時間がある。あるいは今日とまったく違う23人になるかもしれない。今日のようなパフォーマンスを見せ続けたならば。
引用元

「もっと考えないといけない」というのはこの言葉だけでは真意はつかめませんが、私は先の「選手がピッチ上でサッカーのセオリー考えて対処すべき問題」という考えも内包しているふうに読めるんですね。

もちろん、「デュエルと得点数」という監督の大きな戦術論があるのは間違いないですが、それがサッカーの勝敗を左右するすべてではないし、監督の戦術に「選手個々のサッカー脳の排除」という暴君的な思想はないと思うんです。

会見では「ただチャンスを与えたら、もうちょっと違ったものを見せてほしかった」とも言っておりますが、この言葉にも、同様のニュアンスを感じ取ることができます。

意訳すると「デュエルと得点数という監督の戦術はわかっているものとして、それをピッチ上で自分でどう解釈してどう表現するか見せてね」ってことかなと。

さらに意訳すると「おいおい、もし今回の招集をハリルホジッチサッカースクールに招待されて戦術をゼロから教えてもらえると思っていたのなら大間違いだろ。ここは学校じゃねぇ。選ばれたのには理由があるし、それが何か自分で考えて”アピールしろよ”」みたいな感じ?

要は、指示も出すけど、サッカーというのは映画みたいに監督がすべて細かく指示するものじゃない。自分で考えて行動しろよと。

トルシエ氏時代の、例の日本代表のドキュメントとか見直すと、守備陣が練習中に監督抜きで最終ラインの守り方(状況によってオフサイドトラップかカバーリングか的な)話し合いしている映像が残ってますが、これとか「監督の戦術とセオリーの摺合せ」を選手個々が行っている一例だと思うわけで。そういうのは普通に必要というか、レベルによっては必要のないこと? みたいな。

■ワールドカップの23人枠

ちなみに、ぶっちゃけて考えると、ワールドカップの23人枠なんて、もうほとんど埋まっているはずなんです。現実的には考えて、残り枠は数名。この試合を含め、これからはそのためのテストだと思うんで、もし「残り数名枠」に選ばれたいのなら、その「選考基準は何か」を頭を使って探ってアピールするのが大切なんでしょう。もちろん、選考とはいえ試合で結果を出すことは必要だと思いますし、あまりにスタンドプレイに走るのがいいとも思いませんが、少なくとも「何で選ばれたのか」「何をすべきか」は考えて臨むべきであるし、ファンなど外野もそういうことを踏まえて応援する必要はあると思うんですね。

古い話で恐縮ですが、たとえば、その残り枠の基準を顧みると、岡田氏は「若手枠」、トルシエ氏は「チームのまとめ役。ベテランの経験値」、ジーコ氏は「政治的な配慮なし」だったみたいな感じで違いがあったかと思いますし、それはハリルホジッチ監督についても同様かと。

そうなんですよね。改めて歴史を顧みると「23人の選ぶ基準」と「キャンプ地を含めた本番1ヶ月前の取り組み」ってのは、意外と影響力は大きいわけで。今回も、それは重要であるのは間違いないわけです。

国民性や戦術もいいけど、今、ハリルホジッチ日本代表をチェックすべき点はそこな気もしますが、いかがでしょう。


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Posted on 2017/10/14 Sat. 16:13 [edit]

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