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『ラブライブ!The School Idol Movie』地上波放送に便乗して。改めて感想的な 

 正月に劇場版「ラブライブ!」(『ラブライブ!The School Idol Movie』)がテレビ放映されたようですので、昨年の作品ではありますが改めて感想を書いておきます。チェルシーより、こちらのがアクセス数も稼げそうですし(って、アクセス数稼いだところで別になにもないんだけど)

 実は前に劇場版を見たときにも感想を書いたのですが、そのときは、恥ずかしながらテレビシリーズの内容を知らない状態でして。その後、改めてテレビシリーズ2期分を見た結果、この劇場版をきちんと解釈をしていなかったことがわかりました。解釈してないというか、あくまで映画単体での初見での感想だったので、シリーズを通じての感想も踏まえた感想を書いておきます。

 そう。要はこの映画、もちろんそれ単体で楽しむこともできるのですが、基本的にはテレビシリーズからストーリーが続いているので、シリーズを通して見ないとよくわからない部分があるんですよね。まぁ、映画を見に行った人のほとんどがテレビシリーズを見ていると思うので、そんな説明は不要かもしれませんが、私のような奇特な人もいるかもしれないので一応補足しておきます。

■「ラブライブ!」テレビシリーズについて

 というわけで本題。まずは、少しネタバレになりますが、テレビシリーズの大まかなストーリーから触れていきます。

まずテレビシリーズ1期では「学校廃校」を救うべく主人公の高校2年生・高坂穂乃果さんがスクールアイドルμ'sを結成するというのがお話のはじまり。メンバーは友達3人という状態での学校でのファーストライブは、観客ゼロというどん底からスタートとなりますが、そこで奮起する3人。彼女たは新たに1年生の3人をμ'sに加え、ファーストライブの屈辱を晴らすべく練習を重ねます。すると、それに合わせて「ラブライブ」というスクールアイドルの甲子園大会みたいなコンクールの開催が決定。3年生3人を加え9人となったμ'sは学校を廃校から救うことも兼ねて、その大会へ出場するを目指すことになります。そんな「ラブライブ」へ出場するための奮闘を描きながら、主人公・高坂穂乃果さん(たち)にとってアイドルグループは何かみたいことがテレビシリーズ1期のテーマとなっておりました。

 そして続くテレビシリーズ2期は、再び「ラブライブ」開催が決まり、μ'sが優勝を目指すという物語。その大会がμ'sの3年生にとって最後の大会になることを軸に描いていて、ラブライブでの優勝を目指すことと合わせて「3年生の卒業」と「彼女らにとってのμ'sというグループとは何か?」というのが主なテーマとなっております(間違っていたらすみません)。

以上、ざっと物語の概要を着しましたが、実は物語の構造的には「青春スポ根もの」に近いんですね。スポ根というか、全盛期の少年ジャンプが描いていた、いわゆる「勝利、友情、努力」の3要素がフィーチャーされた物語とでもいいますか。この「ラブライブ=スポ根」については以下の記事などでもクローズアップされていますので、参考に引用しておきます。

『ラブライブ!』の登場人物は、これまでの"萌えアニメ"にも通じるタッチで描かれているが、そのストーリーはむしろ"スポコン漫画"に近い。引用元

 もちろん、よくあるスポ根や昔のジャンプものみたいに、数多くの強敵が登場するわけではありませんし、血の滲むような努力をするわけではありません。ですが、男性がほとんど作品に登場しない本作では、恋愛要素は皆無な代わりに、9人の美少女アニメキャラをフィーチャーしながら、要所で「勝利、友情、努力」要素を盛り込んでいて、その「萌要素を活かしたスポ根感」がヒットした大きな要因となっていると思うわけです。

■劇場版について

 以上が、テレビシリーズの概要になりますが、それに続く劇場版では、そのテレビシリーズ2期の続き「彼女らにとってのμ'sとは何か?」がテーマとなっております。

 もっと具体的に言うと、μ'sは高校生限定の「スクールアイドル」なのか、それとも高校卒業後もアイドルとして活動するのかみたいなことです。

 実はテレビシリーズ2期の最後に、彼女たちはその答えを見つけて、そうすることに決めていたのですが、劇場版ではそこにμ'sが予想以上に人気が高くなったことや「ラブライブ」という大会自体がより注目されることになったことがプラスして「μ'sの今後は、単なる彼女たちだけの問題ではなくなった?」みたいな要素も加わっています。

高校生限定か、継続か???

 で、これを先のテレビシリーズでの分析同様に構造で考えてみますと、劇場版はテレビシリーズの3要素である「勝利、友情、努力」をベースにしつつ、主にその1要素である「友情」部分を描いている作品といえるんですね。つまり、「ラブライブ!」の魅力の本質である3要素のうち、「勝利」「努力」部分は劇場版では描かれてないわけで、そこはテレビシリーズを見て補完する必要があるということなわけです。

つまり、劇場版はそれ単体ではなくテレビシリーズ2期を通して見るべき作品であるということ。

 もちろん劇場版には「友情」要素以外に、「自分探しの旅」みたいなテーマをうまく盛り込んでいるほか、そこに、もう一つの作品の魅力である美少女キャラの萌え要素やアメリカのテレビドラマのgleeのような劇中歌やミュージカル要素もあり、それだけでも十分に楽しめます。ですが、「ラブライブ!」という作品の本質的な魅力から考えると、「勝利」「努力」部分をうまく描いているテレビシリーズから通して見ないと、その面白さは半減となるみたいな感じでしょうか。

以上。って、まったく感想になっておりませんね、これ。わざわざ書く必要がなかったかもしれません。大変失礼しました。

ちなみに、音楽では洋楽やヘビメタや渋谷系が大好き私ですが、「ラブライブ!」の楽曲も大好きでして、最後に中でもお気に入りを何曲かここで紹介して終了したいと思います。

まずは劇場版から「Hello,星を数えて」。ジャジーなコードが心地よい、ちょっぴりオシャレなナンバー。渋谷系が好きなアナタにもおすすめな曲です。


続いては、テレビシリーズ1期から「僕らのLIVE,君とのLIFE」。イントロ部分がかっこいいのはもちろん、畑亜貴さんの歌詞が秀逸ですね。特に「君」や「僕」という呼称を使っているところや、「そうだよ」とった接続詞の使い方が好きですね。「そうだよ 信じるだけで ぐんぐん前に進むよ 君が!」なんてフレーズ素晴らしすぎます。


他にも名曲はたくさんありましたが、キリがないのでここまで。あ、ついでにgleeではビリー・ジョエルの「ピアノマン」歌うところが好きですよ~。



というか正月早々、暇だなオレ…。



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Posted on 2017/01/04 Wed. 16:24 [edit]

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アニメ「ユーリ!!! on ICE」感想文 

  腐女子、腐男子向けのボーイズラブ要素の良し悪しについてはよくわからないのですが、その要素を抜きにして、純粋に「過剰な師弟愛」をベースとした「スポーツものアニメ」としても楽しめる作品だったところを評価(って、抜きにはできないくらい、腐の要素は高かったとは思いますが)。
 
さらにフィギュアスケートというスポーツについてもよくわかってないのですが(笑)、「技術」だけでなく「表現力」が大切な競技であるという認識はあって、このアニメではその部分にもきちんとフォーカスを当てていたところが個人的にはすばらしかったと思いました。

 作品の大きなテーマとして「愛」があって、要はそれをスポーツ&腐好きの人向け作品として、うまく描いていたのかなと。
 
 物語の肝というか個人的に特に評価したいのが第3話。

 愛を題材に「エロス」と「アガペー」という2つのテーマでフィギュアスケートをどう表現するということをきちんと描いていて、さらに”表現力とは要は自己表現である”というところまで踏み込んでいたところは個人的には好感が持てました。

 もちろん、この作品の最大のテーマは「勇利とヴィクトルの師弟愛(ボーイズラブ?)」部分なのでしょう。

 個人的には、その部分もそれなりに理解というか「ついていけた」のですが、2人で指輪買うところとこは、さすがに「うーん、この関係は??」って感じたの確か(笑)。
 
 たぶん、その2人だけでなく、そこにロシア人のほうの「ユーリ」という存在をうまく絡めさせたところが「ついていけた」要因でもあったのかな~。フィギュアスケートのライバル(?)としてユーリをうまく「危険な2人」に絡めさせたことで、作品としての軸を「変な意味での腐のほう」に傾かせなかったというか、スポーツ作品としてバランスがとれていたところが、すばらしかったのかなと。まぁ、単にユーリと勇利とヴィクトルの「腐の3角関係」を描いていただけなのかもしれないですが。

 一方で、少し残念だったのは、先の「勇利とヴィクトルとユーリ」の3人以外のキャラクターの描写が中途半端に感じたところ。まぁ12話で収めるという制約があったと思うので難しかったとは思うのですが、たとえばファイナルに残った残りの3人に関しても、もう少し踏み込んで描くことができれば、もっと楽しめた気はした次第です。

Posted on 2016/12/24 Sat. 00:41 [edit]

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「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」と「ガーリッシュナンバー」の大きな違い 

改めて考えてみれば、ヒット作「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」は、今時のリア充的な高校生をディスっていただけの作品だったとも言えるのかな。もちろん、単にディスるだけではないんだけど、ある意味、そこが「リア充憎し」なオタク層の共感をよんだというか、ハートを掴んだところであったと。


もちろん、主人公の比企谷八幡は完全なるオタクとして描かれていたわけではないですよ。けど、視聴者であるオタク層が勘違いして「まるで自分自身のように脳内変換できる」キャラクターであったんですね。特に、比企谷八幡の「自分を犠牲にして事件を解決する方法論」が「オタク的手法によるヒーロー演出」としてうまく描かれていて、オタクの共感をよんだところは原作者の見事な手腕であったと思うわけです。このやり方なら、確かに非オタでもヒーローになれるみたいな「リアリティ」があった。そこが新しかったすごかったなと。で、もちろん比企谷を取り巻く2人(3人?)のヒロインも、うまく「非リア充」に描かれていたし、比企谷八幡(オタク層の代表)のよき理解者であったことも、作品がおもしろかった理由であるのは言うまでもないところです。


まとめると、あくまで作品のテーマ的にはリア充をギャフンと言わす単なる「非リア充視点」なんだけど、結果としてそれがオタク達には「オタクがリア充をやっつけている」ように見えた「オタクのヒーロー物語」みたいな感じ。

そう、結果として「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」という作品は、オタク達に「俺達はリア充よりもすごい」という幻想を与えたところが、これまでにない新たなオタク視点の物語だったわけです。


で、その「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」と同じ作者が絡んでいる作品として期待していた、今TVアニメがやっている「ガーリッシュナンバー」なる作品についてなんだけど…。結論から言うと、こちらは残念ながら、そんな「オタク達が共感できる視点」で描かれてないんですよ。少なくとも、私が見た範囲では。というか、むしろオタクの世界をディスっている感じ。

まぁ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」は、今時のリア充的な高校生をディスることでリアリティを演出していたところもあったと思うので、原作者からすればそれと同じ手法で、今度はオタクの世界をディスってリアリティを演出したかったのかもしれないけど。うーん、そこの視点を変えちゃダメダメだと思うんですよ。

だって、だって、視聴者の大半がオタク層なんだですから。そこを敵に回す意味がわからない。オタクの啓蒙活動したかったのかもしれなけど、それをするにしったて、やっぱこの作品にも「比企谷八幡」のような視点が必要だった気がするんですよね。オタク的な
視点が。何度もいうけど、視聴者のほとんどはリア充でなくオタクなんだけど、そんなオタクが共感できる視点から描かないと厳しいですよ。それがすべてです。

Posted on 2016/11/15 Tue. 01:00 [edit]

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TVアニメ『ラブライブ・サンシャイン』13話までを見た感想 

TVアニメ『ラブライブ・サンシャイン』13話までを見た感想。

・「学校の廃校」というテーマは前作と共通してあるけど、前作で輝いていた「そこからさらに一歩踏み出したもの」がイマイチ見えなかったのは残念。 これは、意図して「それ」に絞ったのか、それとも、それ以外は描けなかったのかわかりませんが、今作の舞台を沼津にした ところに「それ」に絞った理由があるのかなぁ。


・まぁ今作の「ゼロをイチにしたい」というのは、単なる廃校阻止以外のテーマも含んでいたのかもしれないけど、13話を見た感じ、それは伝わってこなった。

・例のミュージカル調のメンバー紹介の意図を僕が掴みきれてないところもあるのかもしれないけど、要は「これまでのストーリーのおさらい」というご都合主義に見えてしまったところは問題だったのではないかなと。


・脇役の「モブ3人衆」が急に「私もラブライブに出たい。アクアに入れてくれ」と頼むシーンがあるけど、あそこで主役級のメンバー高海千佳が「YES」と答えちゃったところも興味深い。まぁ、確かに「NO」とは言いづらいのはわかるが、前作で感動を呼んだ「μ's(前作のグループ名ね)は、この9人のメンバーじゃないと駄目なので、解散します」というメンバー愛というか、「誰でもいいわけじゃない」というアイデンティティは「誰でも出来るスクールアイドルグループ」から「頂点を狙うアイドルグループ」へのメンバー達の成長の証だったところもあると思うんですよね。

・もちろん「3年生が卒業」という大義名分はあったにせよ、新一年生であるそれなりにアイドルの素質のある亜里沙と雪穂の加入を断ってまで「奇跡の9人以外はNO」という道を選んだ意図はある意味感動をよんだわけですが、それと今回のアクア(というか千佳ちゃん)の「モブでもOK」という方向性と比較すると、そこには確実に「アイドルに対する意識の差」の問題が見られるわけで。あえて、その差を描きたかったのか。それとも、単にその差を描ききれなかった? どちらかわかりませんが、現状ですと後者にしか見えないところが問題な気がするわけで。

・もっというと、要は「3年生のキャラクター設定の差」がそのまま、お話に影響しているとも言えなくはないのかな。μ'sでは、バレエがうまいハラショー絵里が3年生に君臨しており、μ'sに入る前に「踊りが下手」と他のメンバーに指摘。それに対して「じゃ教えてください」というμ'sメンバーの本気度というか真摯な気持ち&その厳しい(?)指導にヘコタレずに努力するというお話がうまく描かれてました。同じ3年生のニコも「アイドルとはみんなを笑顔にする存在」という持論をメンバーに植え付けていたし、3年生がある意味「意識高い系」な役回りをこなしていたと思うわけです。で、まぁ、μ'sとは「たまたま集まった9人」ではあるけど、それって実は「選ばれた9人=奇跡」みたいな感じで描いていたと思うんです。だから、ライバルのアライズもその実力を認めたし、実際にラブライブで優勝もできたみたいな。

・それに対して、今回の3年生。まぁ、もちろん生徒会長だったり理事長だったりと、それなりの出来た人物の集まりではあったと思うんだけど、「アイドルに対する考え方」に関しては、どうもイマイチ深く描かれてないところがあるのかなと。もちろん「2年前の歌えなかったことに対するリベンジ」というのは、それはそれで美しいけど、ただ彼女たちが他の学年の子たちにどれほどの影響を与えたのかと考えてみると、そこはあまり描かれない気がするわけで。要は、そこが冒頭の「学校廃校」というテーマ以外に波及しなかった原因でもあるのかなと。なんというか脚本家泣かせのキャラ設定だったみたいな感じ?


・もちろん、モブ加入をOKとした千佳の考えはもっと前向きなものだったんでしょうが、普通に考えれば「アクアとはなんぞや?」「この9人以外でもOKなの?」という前作同様の悩みにぶち当たってもいいかと思ったり。まぁ、まだその境地に達する前だったのかもしれないけど、前作のμ'sだったら海未や絵里といった「良識派」が歯止めを掛けていたと思うわけで。今作サンシャインにはそういう良識派的なキャラをうまく設定してなかったところが、個人的には厳しかったと思った次第でした。

・まぁ、まだ続きがあるのなら、そのあたりうまく描くのかもしれないけど。

・「ずら」をはじめ1年生のキャラ設定はすばらしいと思うので、少し残念。

・で、なんで沼津なの? ってそれはいいとして。アクアのメンバーにとって「アクア」とは? 「ラブライブ」とは? 前作と重複するけど、そのあたりはやっぱきちんと描いてほしい気はしますね。

以上、ライトなアニメファンの戯言でした。

Posted on 2016/09/27 Tue. 03:29 [edit]

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