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偉大なるGKチェフは、なぜチェルシーを去ることになったのか。または絶対評価と相対評価 

 1年前のこのタイミングで、モウリーニョがアトレティコにレンタルしていたクルトワを呼び戻して、チェフに代わってチェルシーの正GKに抜擢するとわかっていた人は、はたしてどれくらいいたのだろう。少なくとも、私はそうなるとは思っていなかったが、結果は違った。モウリーニョはチェフでなくクルトワを選んだのだ。まさかの展開だ。

 はたしてチェフは、そのことを予想していたのだろうか? その答えは、たぶんノーであろう。わかっていれば、みすみす1年間の大半をベンチで棒に振るような選択はしなかったはずだ。モウリーニョにまんまと騙されたのだ。自分が試合に出れないと知ったときは、時すでに遅しだった。モウリーニョの戦略にまんまとはまったのだ。

 GKというポジションは、あまり交代がない。基本1人いれば十分だ。メンバー固定主義者のモウリーニョなら、それはより顕著であり、2人の正GKを使いこなすなんて芸当は持ち合わせてないのは明らかだった。実際、そうだった。相対評価でなく、絶対評価がモウリーニョの信条。チェルシーに来る以前はもう少しローテションも駆使していたようだが、今のチェルシーでは基本は固定だ。同じポジションの選手を2人くらいは保有するが、1人がレギュラーなら、もう1人はベンチ。これが事実だ。もちろん建前ではそうではないが、現実は超絶対評価主義者だ。メディアへのリップサービスではクルトワもチェフも必要であると「相対評価」的なコメントを発するが、実際に行っているのは2人のうちの1人を選ぶという「絶対評価」なのだ。もちろん怪我などすれば、2番手にもチャンスはある。が、そういう不可抗力の事件でもなければ、ずっと2番手のままベンチを温める。つまり干される。窓際族。そうなったら、チームを去るしかない。

 モウリーニョもそれは覚悟の上で2番手を干す。つまり2番手の選手は、1年後に移籍するのは織り込み済みということだ。なんで、そんな酷いことをするかって? だって、そういう選手が必要なんだから仕方がないじゃない。必要なんだよ、2番手のベンチウォーマーが。優勝するためには。だって、絶対評価で評価した選手たちが、絶対に怪我しない保証なんてないじゃない。怪我したら優勝を諦めるでは監督なんて職業は務まらないのだ。そう。優勝するためには、絶対に保険が必要なんだよ。2番手の選手に悪いけど、優勝するためには絶対にそういう生贄が必要なのだ。ベニテスと違って、モウリーニョは生贄を生贄として生かす方法論を持っていて、そこがモウリーニョの天才たる所以でもある。モウリーニョが超長けているのは、まさにそこだ。つまり、保険として抱え込む選手を、たとえ詐欺まがいのやり方であってもチームに確保する術に長けているところが、モウリーニョのすごさなのである。

 さて、では、なんでモウリーニョはチェフでなくクルトワを選んだのだろうか。

 確かに年齢から考えればクルトワにも分はあったと思うが、GKは経験も重要となるポジション。普通に考えれば、チェルシーのGKはチェフのままで十分だったと思うのだが、モウリーニョはそうしなかった。なぜなんだろう。

 正直、その理由は定かではないが、クルトワの才能に惚れこんでいたのが、その理由の一つと言えるのだろう。体格もいいし、メンタルも申し分ない。そして何よりも若い。そう、若手の中ではナンバーワンと言っても過言ではないし、アトレティコでの経験もプラスと考えたのだろう。昨年のチャンピオンズリーグで敵として対戦してみて、クルトワを他のチームへ手放すのは得策ではないと考えたというのが、一番もっともらしい理由か。

 あと、これが一番本当の理由であると思っているのだが、例のファイナンシャルフェアプレー絡みでクルトワを選んだというもの。つまり、年俸や移籍金から考慮した絶対評価で、クルトワを選ぶことにたというのがその理由だ。実力が変わらないのなら、コストがかからないほうがいい。長く使える選手のほうがいい。

 つまり、チェフをチェルシーから追い出したのはファイナンシャルフェアプレ―という愚策であり、プラティニという家具師もその一一味であるとこうこと。

 そう、プラティニは元凶の1人である。チェルシーからランパードを奪ったのも彼だ。奴は大嫌いなユベントスのOBであるということも、私をイライラさせる。

まあ、それいい。というか、一番悪いのはモウリーニョの絶対評価だ。それが、チェフを追いやった諸悪の根源であるのは間違いないのではあるが、残念ながら我々チェルシーファンはそんなモウリーニョを支持するしかない。だって、チェルシーがタイトルを獲るのが好きなんだもん。だから、しょうがない。だから、彼についていくしかないのだ。チェフではなく、モウリーニョを選ぶのだ。絶対評価のモウリーニョを。


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Posted on 2015/06/30 Tue. 02:48 [edit]

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80年代ダンスチューンとレジールーカス 

今更ながらの話ではあるのですが、今朝、ステファニーミルズの「Never Knew Love Like This Before」という曲を改めiPhoneでちゃんと真剣に聴いていたところ、マドンナの「Borderline」と似ていることを再確認。前にもたぶん、そう感じたことがあったはずなんですが、改めて、そのあたりの関係性をスマホで調べてみると、なんてことはないプロデューサーが一緒だったんですな。

そのプロデューサーの名は、レジールーカス。

ご存知の方も多いかもしれませんが、70年~80年にかけて活躍していたプロデューサーのようです。で、マドンナのファーストアルバムでプロデューサーとなり成功を収めるわけですが、今聴いても先の「Borderline」という曲は秀逸であると思ってます。80年台を象徴するポップなR&Bと言えるんじゃないですかね。ポップでキャッチ―なんだけど、どこか物悲しい感じのダンスナンバーなんて、まさに80年という感じじゃない?

サンファイアやマドンナのポップなR&B系の曲を聴くと、エムトゥーメと共作していた時代の曲のポップな部分はルーカスによるものではないかと思えてくる。マドンナで大成功をおさめた後、ルーカスは最新のデジタル楽器と設備を導入した音楽スタジオを設立している。そこで白人と黒人、およびポップスやR&Bを問わずに、年に数回というペースでプロデュースを行っていくようになっていくのである。
引用元



マドンナといえばセカンドアルバム「ライク・ア・バージン」のほうが有名だと思いますが、プロデューサーはこれまたご存知あのナイル・ロジャースなわけでして。プロデューサーって重要だよなと改めて思ったということが言いたかったわけですよ。もちろん、歌う本人が一番重要なんだけどね。

というわけで、今も色褪せない美しいダンスチューンをプロデシュースしたレジールーカス。改めて要チェックですよ。




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Posted on 2015/06/25 Thu. 01:18 [edit]

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コパ「ブラジル対べネゼエラ」と「華麗なるギャツビー」 

やはり注目はロベルト・フェルミーノだったわけですが、正直、かなり微妙な評価です。
第2戦でのあの信じられないシュートミスを見ると、チェルシーでプレイするのは無理かなって思うんですが、第3戦ではきっちりとゴールを挙げているわけで。まったくダメってわけではないんですよね。

特に第3戦でのゴールはフェリペルイス⇒ウィリアン⇒フェルミーノと、チェルシーの選手によるお膳立てからのゴールだったわけで、そこはいろいろと想像できるみたいな。まぁ、今後の活躍に期待ですかね。

 にしても、フェリペルイスはいい選手だと思うし、もっとモウリーニョは彼をチェルシーで使うべきだね。アスクリピエタももちろん素晴らしいんだけど、だからといってルイスを干すのはどうかと思う。今期チェルシーで不憫なシーズンを考慮すれば、ルイスが1シーズンで移籍することを止めることはできないと思っている。彼にはその権利はあるのだろう。だけど、もしチェルシーにまだ残るんでしたら、モウリーニョは彼をもっとたくさん使うべきだ。彼はベンチを温めるためにチェルシーに来たわけではない、サッカーをするために来たのだから。


 話は変わって音楽について。音楽は時代を反映するものであると思っている。70年代サウンド、80年代サウンドと呼ばれてピーンとくる人は、それなりにいるはずだし、実際に「違い」はあると思っているからだ。もちろん例外はあるのだろうが、当時流行したリズムやメロディ、そして録音状態などが違いを生むという感じか。

映画音楽なんて言うのは、その顕著な例だ。ゴットファーザーや第3の男のテーマ曲などなど、時代を象徴する音楽はたくさんある。

 で、その法則を無視した映画というものを、我々はどう評価すべきか。つまり時代背景と音楽が合っていない映画は、それだけでクソと呼べるのかという話だ。

 デカプリオの「華麗なるギャツビー」を見たことがあるか? 1974年のものでなく、そのリメイクのほうだ。この映画、私が見たところ「お話は70年代」だけど「音楽は90年代というかそれ以降」という不思議な世界感を演出している。それが狙ったものなのか、たまたまなのかはわからないんだけど、個人的には違和感しか感じなかった。

 音楽はやはり時代を反映するものであると思うし、その法則をあまり無視してはいけないと思うのだ。もちろん、リメイクがダメというわけではない。リメイクならリメイクしましたと、しっかりと尊敬の念を持ってリメイクすれば問題ないと思うが、そこに変な時空を無視した細工を凝らすのはよくないと言いたい。70年代は素晴らしき70年である一方、忌まわしき70年であり、80年代も同様であるからだ。俺もバブルは嫌いだったよ。好きなところもあったけど。




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Posted on 2015/06/23 Tue. 02:30 [edit]

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オリジナルラブ「ラバーマン」レビュー 改めて渋谷系を考えてみて 

僕が渋谷系を好んだ理由は、たぶん、そのサウンドに日本を感じなかったところにあったのかな。

 オリジナルラブの最新アルバム「ラバーマン」を聞いた感想は、ずばりそれでした。「ラバーマン」をはじめ、20年前の渋谷系を感じさせる楽曲と合わせて、このアルバムには何曲か「日本」を感じさせるものがあり、それを聞いたときの違和感みたいなものが、冒頭の答えを導き出してくれたとでもいいますか。

 もちろん「日本」を感じさせる楽曲も悪くはないんでしょうけど、そのサウンドを求めてない自分が”まだ”いることを再認識できたことはいいことなのか、悪いことなのか。

 いわゆる「ヤンキー文化」的なものが嫌いであるのは確かなんだけど、「日本=ヤンキー文化」ではないわけですし、そういう偏見を持つのはいいことではないというのもわかってはいるんですけどね。

 あと、渋谷系というのは「ロック」だったのか、それとも「非ロック」であったのかみたいな論点から考えてみると、たぶん、
その両方がうまくブレンドされていたというのが、私なりの分析であったりします。

 オリジナルラブやピチカートや小山田&小沢さんは、基本ロックな人たちだったと思うんですが、そのロックな人たちが「ロック以外の楽曲」を演奏していたところに、おもしろさがあったみたいな。って、簡単にいうとソウルとかR&Bとかボサノバとかをロック的な方法論で再定義したのが、渋谷系の根幹にあったみたいな。まぁ、全然ロック畑でない人たちも、当然、含まれていたんでしょうけど、目立ったのはロックテイストがある人たちだったのかなって。

ジョン・バリーみたいな音楽がやりたくて、それをニューウェイブ / パンク的な発想で作ったのがあのへん。野球のルールを知らずにでたらめにダイヤモンドを駆け回っているみたいな(笑)。
引用元

ナタリーのこのあたりのインタビューを読むと非常に納得できるんだけど、オリジナルラブに関しては個人的にはもうちょい「理論」にやっている部分があるのかなと思っていたので、そこは今回このインタビューを読んで驚いたところでしたね。

全然違う。理論がわかってきたら、これまで聴いてきた音楽も全然違って聞こえてきて。スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンの音楽にもジャズが入ってるんですよ。彼らの洗練された音楽の仕組みが見えてきた。そういう技術的な変化が曲作りに生かされたのが「今夜はおやすみ」とか「フランケンシュタイン」、次の「クレイジアバウチュ」もそうですね。だからこのへんの流れに反応してもらえるのはすごくうれしいですね。
引用元

いやー、てっきり当時の渋谷系も当然「スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンと同じスタンス」でやっているのかなと思っていたんですが、そこまで楽曲を掘り下げて作ってなかったというのは知りませんでした。

まぁ、だからこそオリジナルラブは1つの音楽ジャンルに囚われずに、アルバムごとに変化し「ストーンズみたいなセルフコピーバンド」という負の連鎖に陥らずに今日に至っているんでしょうけど、「渋谷系」愛好家的には、そこは微妙な部分でもあるんですけどね。

というわけで、私が好きな音楽はヤンキー的でなく、フリーソウルやR&Bやジャズの香りがして、グルービーで、メロディもよくて、リズムがいいものである。「ラバーマン」は、そんなことを私に再認識させてくれてくれたアルバムということで、このエントリー終了。

さーて、小沢健二のファーストとドンエリスの「ターキッシュバス」でも聞き直すかな。


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Posted on 2015/06/22 Mon. 01:27 [edit]

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アジアの戦い「サッカー日本代表対シンガポール代表」感想  セルジオのレトリックよりも大切なこと 

引いた相手に縦に速いサッカーが通用すると思う? するわけがないよね。スペースがなければ、柴崎もマジックなパスを出せない。シンガポール戦では、ご自慢の縦に速いサッカーが通じないと見るや、急にサイドに展開し出したけど、サイド攻撃なんてこれまでほとんどやってなかったはずだ。
引用元

セルジオ節炸裂ですな。まぁ、私もハリル日本代表には同様のイメージを持っていたんで、言わんとしていることはわかるんだけど、ここでセルジオの言葉のマジックにはまっちゃいけないですよ。って、私も、よく使うレトリックではあるんだけどね(笑)。

レトリックとは…。上の文を読むと、なんとなく問題は「縦に速いサッカー」であり、「サイド(横)にうまく展開」できれば問題ない的な感じとなっているところ。つまり戦術が×であり、ほかの戦術なら勝っていたというものが、ここで言うレトリック。もちろん、その可能性だってあるんだけど、それが絶対ではないというのは主張しておきたい。つまりサイドに展開したって、シュートが下手糞ならゴールは生まれないし、縦に速いサッカーであってもシュートが上手ければゴールが生まれる可能性はあるということ。

つまり、あくまで問題は決定力であって、方法論的にはそれほど間違っているわけではないということが言いたいわけです。

シュートって枠にボールが飛べがいいというものではないんですよ。もちろん、枠に飛ばないよりはましだけど、それでもGKにとられたら枠外シュートとあまり変わりはない。なのでGKが取りにくい状況を想定して打ったり、ある時は欺いたりしてシュート打つことが大切になるわけです。で、この試合、そういう意識を持ってシュートを打った選手が、はたしてどれくらいいたのか。って偉そうですが、問題は「シュ-トの技術」でしょってことです。

もちろん相手のGKはうまかったと思うし、シュートを打つまでの展開にも問題はあるとは思うけど、あくまで一番の問題は「シュートの技術」「決定力」であると言いたいわけです。

まぁ、セルジオが言うとおりに「高校生マインド」も問題であるのかもしれないですし、それが決定力のなさにつながっているところも大きいのかもしれないけど、逆に言うとブラジルでのザッケローニ「俺たちのサッカー」日本代表って、それとは逆の高校生マインドがないところが問題だったわけでして。そこは、一長一短あるんですけどね。

 あと、ハリル監督の選手のチョイスにも問題を求めることだってできるんだけどね。ほら、方法論(縦に速いサッカー)を重視するあまりに、ゴールを挙げるという目的を達成させるための選手(決定力や技術がある選手)が選ばれてない、試合に起用されてないのだとしたら、それは問題であり、今日の日本代表には若干その傾向はみられている感じがすると分析することもできるからね。

なんにせよ、別にこの試合を引き分けたからって天地がひっくり返るわけではないし、大勢にそれほど影響はないのは確か。

ただ、「これがアジアのサッカーだ」とか「こういう日もある」だけで終わらせるのは、やめにしたいですけどね。


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Posted on 2015/06/17 Wed. 02:50 [edit]

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コパアメリカ「ブラジル代表対ペルー代表」感想文 サッカーは戦術と個人技 

注目はロベルト・フェルミ―ノだった。ドイツのホッフェンハイム所属の攻撃的MFだ。
チェルシーにはオスカルがいるじゃんという話もあるが、オスカルは絶対的な存在ではないし、もしフェルミーノがこのコパアメリカでそれなりに活躍してチェルシーが獲るチャンスがあれのだとすれば、彼がチェルシーの将来を担う可能性だって十分にある。

残念ながら、彼がこの試合に登場したのは後半半ば過ぎであってあまりプレイを見る時間はなかったが、前線での存在感やオフザボールの動きはよさそう。それに、何といってもフィジカルがありそうなのが、いい。モウリーニョ・チェルシーというチームの特性上、それは大切なことであるし、プレミアリーグというプロレス団体の特性から考えても申し分ないところだ。

あとはゴールの嗅覚というか、決定力。この試合シュートチャンスはほとんどなく、その辺りの評価はまたの機会にしたいところだが、ネイマールという怪物と比較してしまうと物足りないのは確か。とはいえ、ネイマールがチェルシーに来ることはないので、そこは別物として考えるべきだろう。

それにしても、ブラジル代表の試合は、やはりおもしろい。個のテクニックがあるのはその理由の一つなんだろうが、それだけでなく戦術と個人技のバランスがとれているところが、サッカーをおもしろくしている最大の理由なんだろう。ぺルーも悪くはなかったが、いわゆる違いを生み出す選手の量と質には差があった。

今の日本代表は戦術論が花盛りな感じがするしそれはそれでいいんだけど、一方で、戦術というのは1つ使い方を誤れば選手の力を閉じ込めてしまうのもでもあるということは忘れないようにしたい。


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Posted on 2015/06/16 Tue. 02:10 [edit]

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ハリルホジッチ日本代表と大西鉄之助ラグビー論 またはメイジャートム対決 

 例によって、YouTubeでハイライトしか見てないんだけど、それと監督の会見から感じたことをいくつか。

 まず、2006年W杯の時に当時の日本代表の監督だった岡田氏がキャッチフレーズにした、「石鹸、点検、係属」というラガーメン大西鉄之助氏の理論の引用について覚えているであろうか?

■オシムよりも大西理論

 このブログで何度も言っていますが「ラグビーからのナンセンスな引用」は前任オシム氏のすばらしいサッカー観に泥を塗ったと思っており、絶対に許すことができない行為であると思っているのだけど(なんでかって、そりゃオシムのサッカー理論を継承しないで、ローカルなラグビー理論を持ち出すなんて失礼だから)、たぶんその時に岡田氏が頭の中に描いていた戦術スタイルはこの試合のような形だったんじゃないかなしら?

この試合は満足している。何年か前からチームがやっていた方法を抜本的に変えた。特にオフェンスの組み立てにおいて、3人目、4人目(の動き)にワンタッチを要求していたが、それらをよくやってくれたので本当に満足している。
引用元

「攻撃の始まりがショートカウンター」とまでは絞り込んでなかったかもしれないけど、「3人目、4人目(の動き)にワンタッチを要求」というスタイルこそが、実は「石鹸、点検、係属」の本当の姿であったのかなって。というか、ラグビーから引用でなく、普通にハリル氏のように「3人目、4人目(の動き)にワンタッチ」と指導すればよかったと思うんだけど、もしかしたら残念なことに岡田氏の頭の中はそこまで戦術が整理できてなかったのかもしれないんですけどね。

つうわけで、ハリル日本のカギとなるショートカウンターですが、この戦術は悪くはないと思いますよ。「リスクが少ない」というのはメリットは確実にあると思うし、そこは重要でしょう。ただし、その反面、相手がしっかりとファールプレイを絡めた守備で対応してくると、攻め手がなくなるという危険も含んでいるということは頭に入れておきたいところ。まぁモウリーニョのように、それでも根負けしないで徹底的にリスク回避というのも素晴らしいとは思うんだけど、個人的にはやっぱ、「サイドバックから初めて、サイドバックで終えよう」的な、ロベカルとかカフーとかソリンとか3列目の選手が躍動するような戦術もうまいこと取り入れてほしいんですけどね。ほら、日本代表には素晴らしいサイドバックの選手もいることですし、その攻撃力を生かさないのはもったいないのかなと。というか、ソリン最高!

■「卵」と「壁」的な

 ただし、まぁ「間違ったゾーンディフェンス信者」のみなさんたちとは違って、ハリル監督は「個の能力」についても、きちんと考えているところは評価したいですし、そこに可能性は感じるんですけどね。ただ、個人的には、個として引用するべきは「本田も宇佐美も香川」ではなくて、3列目の選手だろみたいな思いはある。

個人の能力をチームに生かす事が大事だ。個人の能力を閉じることはしない。本田も宇佐美も香川も能力があるので、彼らは何かを見せないといけないが、チームとしての機能を果たさないといけない。一人だけのプレーではないということを彼らは理解する必要がある。それがチームの力だ。個人の能力を組織に生かすということだ。それが強豪国への道だと思う。引用元

アルジェリア代表でのハリルのサッカーを見ると、強豪に対しては「引いたゾーン」からカウンターで「ちょいオシム的な動きの要求」という、手堅い戦術が根幹にある感じでしたのですが、はたして、日本代表でもその焼き直しが行われるのか? で、もって、それがおもしろいのかというと微妙ではあるというの知っていました?

 まぁ「退屈なチェルシー」という代名詞は、強豪国がそんな手堅い戦術を使うからついたんでしょうが、ハリル氏が前回のW杯でやったスタイルは間違いなくそれに近い。つまりは退屈。個人的には退屈でも勝てば官軍であるとは思うんだけど、そこにおもしろいという価値を見出すためには「日本人にゾーンディフェンスの基本がないのは嘆かわしい」とかいう古典的な理論を振りかざして試合を拝めていたらダメかもですよ~。みたいな。

 さて、前回のエントリーでデビットボウイを引用したのは、たまたま見た映画「LIFE」でその曲が使われていたから。新ためて聴くとすばらしい曲だよね。で、今回はその曲のアンサーソングと言われているピーターシリングの名曲を紹介。アコースティックなデビットボウイの曲のほうが宇宙的に感じるのは、彼が天才だからですかね?






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Posted on 2015/06/12 Fri. 02:10 [edit]

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トムから地上管制へ。チェルシーは、ドログバやレミーが常にけん制している。 

今期のチェルシーの代名詞はアザールとセスクとコスタ。残念ながらレミーやドログバはほとんど活躍してない。
それを踏まえて、以下の文章を読むと、ちょっとばかり違和感を感じる。

そういった相手にとっての「怖さ」を持ったうえで守る。ただ守っているだけでは守りきれないということだ。これは欧州のトップクラブでも同じこと。今季、プレミアリーグで優勝したチェルシーであれば、1点を守りきる局面で守備を固めた状態でも、FWのドログバやレミーがカウンターを狙い、相手を常に牽制している。
引用元

確かにドログバやレミーはカウンターを狙っていたのかもしれないけど、それが印象に残っている試合はほとんどない。というか実際に、それが機能した場面はほとんど思い起こせないし、それで勝った試合もほとんどないのだ。要は、今期、彼らのカウンターでチェルシーが勝利した試合というのは、ほとんどないということ。それが現実だ。ところが上記の文章を読むと、あたかもドログバとレミーによるカウンター戦術のおかげで今季チェルシーが優勝できたふうに読める。今期チェルシーの試合を見たことがない人なら、絶対にそう思うはずだ。つまり、これは明らかなミスリードではないか。というか、そもそも、なんで、わざわざ、彼はチェルシーを引用したのだろう。しかもレミーやドログバを?

カウンター=チェルシーだから? 正直、わからない。



こちらトムから地上管制へ。ドアを超えているところだ。

妙な感じで浮かんでいる。

今日は星が全然違って見える。

僕は世界のはるか上のブリキ缶。

惑星地球は青く、できることは何もない。






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Posted on 2015/06/10 Wed. 01:36 [edit]

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2015-06